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若いときは誰でも食っていかなければならないので、とかく自分の都合や利益を優先して突っ張ってしまうことがあります。 これは決して間違いではありませんが、人間は独りでは生きられないので、良い人が見つかれば結婚するし、子どもができたらできたで育てなければならないし、職場でも多くの人の中で仕事しなければなりません。 するとどうしてもそこで意見が食い違うとか、ことの進め方の考えが異なるかして争いが起こったりします。 自分に少しでも才能があるという自負があると、自分の考えをどこまでも通そうとしますが、若者には経験が少ない分だけ、考えの行き届かないところがあります。思慮分別が浅いからこそ、強引に向こう見ずに突き進むことができるのです。 ところが年を取ってきますと、経験と知識が集積される中で、知恵が醸成されてきます。この点に関しては、「亀の甲より年の功」といわれるように、聖人君子であろうと市井でごく平凡に暮らしていた人であろうと、なんら変わることはありません。 相手の年齢が自分より上であれば、自分がどんなに偉かったとしても、地球に生まれてからの経験だけは相手を追い越すことはできないのです。必ず年相応の経験を積んでいるわけですから、口から出る言葉には、どこかに必ず珠玉のような人生の知恵を聞き取ることができはずです。 「三人寄れば文殊の知恵」と同じように、人間も年を取るだけで「文殊の知恵」が潜んでいるのです。 まず、このように知恵が自分に備わっていることを、客観的にチェックしておく必要があることと、それと反比例して体力が衰えていることも、しっかりと把握しておくことです。 自分では相変わらず元気であると思っていても、ある日あるとき何かの拍子に老いが忍び寄っていることに気づいて愕然とすることもありますが、老いるのは自然の成り行きであるので、その事実はそのまま素直に受け入れることです。 人間には「財」と「色」という生まれながらに強い欲望がありますが、そのすべてが、年を取るに従って、ギラギラしたものではなくホドホドのものになってきます。欲が突っ張っているときは、量的に限度がないので、肩にも力が入り、その結果、心も凝ってきます。心の休まるときがないのです。 欲が少なくなるに従って、量に対する興味も薄くなり、その分だけ気が楽になります。そこで、ゆっくり構えて、時間をかけて質の追求をしていくことができます。 年を取ると、人生に深い味わいが出てくるのです。 |
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